こちらの記事:批判の質が低いを読んで。
ごもっともですね。
http://blog.seesaa.jp/tb/200609507
そこ、そんなに重要? もっと話すべきところあるんじゃないの?
他の手段は?
などなど思う批判が多い。
一番多く感じる不満は、相手の言っていることを理解して居ないだけど...
そして、話がかみ合わない。
もっとも、議論を聞いている人も...レベルが低いから、結局、自分の有利な結論に、誘導するためには良かったりする。
そもそも議論とはその利益、立場、価値観の相違と、知識量や情報量の相違を乗り越えるための大切な手段なのに、その相違自体を批判することは最初から議論を拒否するようなものです。
そもそも、宋さんは、日本における会議の意味・議論の意味・批判の意味を理解して居ない。
批判は、建設的な議論のためにあるのではなく、他者を騙すためだと思えば、何ら不思議ではない。
創造的な議論をしようなんていう考えを持つから、レベルが低いだの変だなどということになるのだ。
もっとも、嘘のレベルとしても低いかもしれないけど。
【適切な批判のために必要なこと】
適切な批判には、適切な評価力と創造性がないとできない。
そこ、そんなに重要? もっと話すべきところあるんじゃないの?
などなど思う批判が多いのは、理解力や知識がなく評価力がないため、どこが重要・ポイントかが判らないためだ。
代替え案がないのは、批判者の創造力が低いためではなく、ないため。
残念ながら、評価能力は高くない。
(日本は、創造性のある人は多いけど、評価能力がないので、創造性を活かせないでいる。)
そして、創造的な議論も出来ない。
「止める・やらない」が、重要な代替になる場合がありますが、問題解決や企画などの場合は具体的な行動が、必要なので「駄目だね」だけじゃ、さっぱり先に進まない。
問題解決や企画などの場合は、単純な絶対値の評価ではなく、代替案との相対評価が重要なのに、
創造的な批判じゃないため、問題解決行為自体が潰れて、問題がちっとも解決しない。
(実際は現場の頑張りで乗り切るんだけどね)
まぁ、空気を読むと言うパワーゲームで物事が決まり、現場の努力で乗り切るんだから、適切な批判なんて必要ないのかもしれない。