DNAは設計図という表現は、あまり適切ではないという話

 知り合いと話したが、その人はDNAを設計図と言っていた。
 判り易いけど、う〜ん、ちょっと違うような気がする。
 分子生物学の人から見れば、当たり前だけど...DNAは、単純に設計図というわけではない。
 なぜなら、DNAのどの部分を使うか、どのくらい使うかは、細胞の状態と、細胞が置かれている環境で大きく異なるためだ。
 そして、厄介なのは、細胞自身が、環境や用いたDNA(?)によって自身が改造される(?)点だ。
 遺伝子プログラムでは、表現形(?)という言葉を使うけど、まさにDNAは、情報・知識をA, G, C, Tを使って、表現したものと言えるような。
 設計図というよりも、道具箱・参考書という感じかもしれない。
 そして、驚くべきことに、どの道具を使うか、などは物質の濃度により多くの場合決定される。
 この物質の濃度が濃くなったら、別の物質の生成を増やす、減らすなどの組み合わせにより、人体は生成され、作られる。
 物質の成分はDNAに乗っているのだが、使用条件などは、細胞や環境との相互作業で決まっているので、複雑怪奇。パッと見判らない。
 現在人間のDNAの構成は、判ったけど、どんな機能を持っているかは全部は判っていない。
 WORDのプログラミングの01のデータが判ったとしても、どこでどんな働きをしているのか、判っていないのと同じ。