日本の液晶パネルは、なぜ韓国・台湾に追いつかれたのか?
たびたび、書いていますが、別の側面から。
色々原因はあります。
投資不足や技術の流出。
ネットだと盗んだ話や技術者が教えに行く話がたびたびありますが、技術提携で会社が意図的に技術を出した点の指摘は少ない。
今回は、製品の特性面からの話。
【液晶メーカーの数】
日本には、過去、多くのメーカーが存在していました。
シャープ、日立、松下、NEC,富士通、ソニー、松下、東芝、三洋、エプソン、三菱電機、カシオなどなど。
大手電機メーカーならば、小型液晶パネルを生産していました。
また、大手電機メーカー以外でも多くのパネルメーカーがありました。
小型液晶パネルは、参入障壁が思ったより高くないようです。
なぜ、こんなに多くのメーカーが参入できたのでしょうか?
【パネルの構造】
液晶パネル自身は、それ自身がテレビなどに使われる部材・部品なのですが、液晶パネル自身が部材・部品の塊だったりします。
加工品としての側面以外にも、組み立て製品としての意味合いが大きいのです。
古いですが、ネットで拾ってきたコスト構成です。
部材コストの比率が高いことが判ります。
逆に言いますと、液晶パネルメーカーのやること・付加価値は意外と少なく、パネルメーカーの取り分は少ないです。
(部材の多くは日本メーカーの日本製のため、台湾も韓国も作ると輸入が多くなる)
部材は、液晶パネルメーカーが作っている場合もありますが、多くは購入にしています。
要するに、日本メーカーも、韓国・台湾メーカーも同じ部品メーカーから購入すれば、その点の性能はかなり似るわけです。
参入が容易で、キャッチアップが非常に容易なわけです。
【韓国・台湾の参入タイミング】
韓国・台湾の参入タイミングは、だいたい90年後半です。
そして、液晶パネルのサイズが巨大化し始めたのは、2000年ごろから。
物凄い勢いで巨大化し始め、液晶パネルの価格は下がり、工場の建設費は巨額になりました。
最初に採用した国・メーカー
2000年第4世代 シャープ
2002年第5世代 韓国・台湾
2004年第6世代 シャープ
2005年第7世代 韓国・台湾
2006年第8世代 シャープ
第5、第7世代を採用した日本メーカーは存在せず、第5、第7世代は韓国・台湾・日本の部品会社が協力したもののです。
【大型化の苦悩】
パネルの大型化は、コストダウンの可能性がありますが。
それは歩留まりが高いの大前提です。
小型では参入障壁が低いと思われる液晶ですが、大型化では、工場の投資額と歩留まりに対するノウハウが参入障壁になります。
パネルの大型化に対する苦労に関しては、日本にとっても未知なので、日本、韓国、台湾も大差なしという感じです。
【シャープのブラックボックス化戦略】
2004年あたりに、ブラックボックス化戦略を取りましたが、どの程度効果があったかは不明。
シャープ自身が、工作機械・部品の多くを外部から買っていて、ノウハウを外部から依存している以上、その効果はたかが知れています。
第四世代のノウハウは、シャープから韓国・台湾に流れましたが、第五世代のノウハウは、韓国・台湾からシャープに流れているはずです。
【他社は何していた】
2000年のITバブル崩壊後の集中と選択で、集中事業から外され、集中したのはシャープのみという痛い世界でした。そのため大型化競争に参加した日本メーカーは、シャープのみ。
IPSアルファや松下などは、2006年以降に第6世代工場を立ち上げていますので、日本メーカーの方がキャッチアップの世界ですね。
2000年の段階で、シャープ以外はほぼ脱落。
松下の液晶に関する大型投資は、完全なタイミングはずれのような気がします。
2002年〜2003年の第5世代で、生産量・額で韓国・台湾に抜かれ、シャープが頑張ってきた日本。
本当、シャープがんばりました。
では、集中事業から外したのは、判断ミスなのでしょうか?
これは難しいです。
コスト構造をご覧になると判りますように、コストに占めますパネルメーカーの関与は小さく、部材が多くを占めています。
そのため、製品価格の大半は、部材で決まってしまい。コスト削減の余地は小さいものとなります。
人件費の差で、台湾・韓国に勝つのは難しいと考えるのは、しょうがないでしょう。
その判断の結果、敵の敵は味方理論で台湾メーカーと提携し、結果として、残ったシャープは、台湾・韓国双方と対決しないと駄目な結果になりました。