日本の液晶ディスプレイは、韓国・台湾メーカーに敗北しました。
それについて、メモ程度に考えてみます。
液晶ディスプレイにおいて、韓国・台湾メーカーに敗北したのは、いつ頃からでしょうか?
大赤字を出して、一般の人に明白になったのは、2011年頃ですが、それ以前に、劣勢であることはかなり明白になっていました。
【2011年】
3Dや50インチが思った以上に売れない。
顧客の要望を超えたオーバースペック状態になります。
完全に成熟期です。
アメリカは不景気のため思うように売れず。
日本やヨーロッパ、中国の住宅事情では、50インチは難しいと言うことです。
【2008年〜9年】
ウォン安とLEDによりサムソンが大幅に伸びる。ソニーが商品企画力で見劣り始める。
【2005年〜7年】
2005年の段階で、シャープの液晶生産量は、第7世代工場と建てたサムスン、LGに負けました。
サムスンはソニーと提携したことにより、製品の掃出し口があり大規模投資が可能になりました。
LGはフィリップス、その後、VISIOという製品の掃出し口がります。
対して外販をしないシャープは、シェア争いで不利になります。
この段階でソニーと提携して、国内はシャープ、海外はソニーで捌くと開き直れれば、違った展開があったかもしれません。
今でこそ、シャープはブランド力がありますが、90年代より前は、六番手くらいのブランド力のないメーカーでした。そして、海外ではさらにありませんでした。
国内で受けた亀山モデルを海外でも前面に打ち出すなど、完全にブランド戦略に失敗。
売り手市場の時代、生産力不足のため国内を優先、アメリカ市場に十分な量の製品を出せず、韓国にシェアを取られるなど、戦略面に問題点が多かったような気がします。
その後、2006年〜7年あたりに、台湾のAUOなどに抜かれ、5位に落ちました。
AUOはサムスンやソニー、東芝、マイナーブランドなどに外販していました。
シャープは、液晶パネルを自社のテレビの強みとしていたので、パネル外販に積極的ではなかったみたいですね。
外販して、国内のシャープのテレビのシェアが55%から40%に落ちても、ソニーと合わせて60%取れれば良いという考えはとれなかったみたいですね。
堺の第10世代工場は、一発逆転を狙ったものでしたが、円高、ソニーとの関係などで上手くいきませんでした。
ウォン安、円高で負けたというよりも、明白になった、駄目を押されたという感じです。
2006年あたりには、液晶とプラズマの競争の勝敗も見えてきて、松下の旗色が悪くなります。
【2004年〜5年】
2004年に第六世代工場を建てたシャープは、まだ、大型パネルで生き残れましたが、他のメーカーは競争に参加せず。
あとあとで、松下は第6世代工場を建てましたが・・・。
2004年あたりは、液晶とプラズマ。どちらが大型ディスプレイの本命になるか争っていました。
結果として、数が出る小型・中型ディスプレイを生産できる市場が大きい液晶が勝利しましたが。
最終的にプラズマを生産していたのが、松下、サムスン、LGと三社?程度なのに対して、液晶は無数のメーカーが参加。
アメリカ市場に起きまして、松下はプラズマで50%以上のシェア取ります。
しかし、プラズマで勝っても、薄型ディスプレイの勝利にならなかったのが、松下の大誤算でした。
プラズマでは、32インチのボリューム層を攻められなかったのです。
ここで力を蓄えた液晶陣営が、より大型サイズに攻め込み始めます。
これは技術のトレンドどおりです。
話は戻りますが、2004年の段階で、日本のメーカーが劣勢であることは明白でした。
パソコン用のモニターで、韓国・台湾に敗北していたためです。
日本(シャープ)は、低価格・低品質の競争に敗れ、より高性能な性能を求めるテレビ用モニターに移行して訳です。
他のメーカーは、パソコン用モニターから撤退か縮小です。
【2002年】
なぜ、2004年の段階で敗北したかというと、投資不足とマーケティングの無さです。
2000年以前、液晶ディスプレイの市場の大半は、ノート用でした。
ところが、1998年ごろから、デスクトップ用モニターが市場に出始めました。
2002年頃、韓・台湾メーカーが第五世代工場を立ち上げ、中型ディスプレイを大量に安く供給します。これにより、デスクトップ用モニターが市場急速に伸びます。
一方、ノートは数が伸び、市場規模はありましたが、一枚当たりの価格が下落して、既存の日本メーカーを苦しめます。
当時、日本メーカーはシャープだけが第4世代工場を持ち、他のメーカーは第3世代工場でした。
結局、日本メーカーで第5世代を立ち上げた会社はありません。
もう、2002年のこの段階で勝負できるメーカーはシャープに限られてきた感じです。
日立、NEC、富士通などは、ITバブル崩壊のあおりで財務状況が悪く、投資意欲なしでした。
当時、脱モノ作りが盛んに叫ばれていましたし。
富士通は、プラズマの本家であり、大型ディスプレイ本命はプラズマと考えていたので、どうにも液晶には積極的ではありませんでした(ノート向きけは生産していましたが)。
とは言っても、20インチ程度のデスクトップ用モニターはプラズマ向きではないので、プラズマでカバーするのは無理。
この市場にどう対処するのか、明確ではないまま、急速に市場が立ち上がり、取り逃した感じです。
この投資をしないというのが、常に敗北の転機なります。そもそも、参加しないのですから敗北ではないのかもしれませんが・・・・
実は投資しない一方で、台湾メーカーと技術提供して、技術を売っていたりするんですね。
どうにも、日本人は海外メーカーが技術を盗んでいると言う人が多いのですが、半導体にしろ、液晶にしろ技術提携をして売っている点を忘れているような気がします。
要するに、シャープ以外の液晶メーカーは、自社の生産を諦める代わりに、海外メーカーに技術を売ったわけです。
そのため、海外メーカーは日本に対して猛烈なスピードでキャッチアップします。
個別では正しい判断でも、全体で見た場合適切ではない。合成の誤謬というやつです。