ルール(閾値)と行動はセットで考えないと意味がない。

 ルール(閾値)と行動はセットで考えないと意味がない。


 基準値というのは、意味の無い基準というのは稀で、大抵は、その値を超えたら、何かアクションを起こすようになっている。


 騒音だったら、公害認定だったり、賠償の基準になったりする。


 しかし、世の中には、その点を理解せず、基準の数値の高低だけを議論したりする場合がある。


 放射能の値が最たるものだろう。
 基準値を少しでも超えたら、とたんにおかしくなるなんてことはない。
 しかし、何らかの行動の引き金にはなる。


 その行動が何なのか。
 重要なのは、その点であり、その点を抜いた議論は不毛でしかない。 


【そもそもルールの意味・価値を判っていない】


 日本人の多くは、ルールを作成する訓練をあまり受けていない。
 そのため、意味が何なのか、判らないルールが結構ある。


 末端の人には、取りあえず何でも良いから守れと言い。
 破る人間に対して、ルールを破ったから悪いと処罰する。
 また、破る人間は、取りあえず何が悪いのか判らず、破ったりする。


 食中毒を起こす現場は、だいたい上記のような現場だ。


 国際スポーツの場では、たびたびルール変更が起きますが、それはゲームを盛り上げるためであることが多い。
 しかし、日本人の多くには、なかなか理解されない。
 日本人にとっては、ルールは守るものだからだ。