SFでは良く重力で光が曲がると表現されるけど、重力では光は曲がらないそうです。
私も、重力で曲がると思っていました。
どうやら、質量で時空が歪むというのが正しい表現みたいです。
質量が時空をゆがませる。→時空が歪み光の軌道が曲がったように観測される。
と言う感じでしょうか。
光が曲がったように観測されると書いたのは、直線の定義がややこしいから。
重力で曲がるわけではないようです。
しかし、光が曲がったように観測されるというのは、重要なキーワードみたいです。
【光が一番偉い・絶対的な基準】
光が一番偉い・絶対的な基準と考えるようです。
そして、光が一番偉く、最短距離を進む。
ある意味、まっすぐ進むと考えます。
つまり、光が曲がっているように観測されるのは、観測している側が、曲がっている?など、観測側の理由。
【摩訶不思議な自由落下状態】
計器も窓のない宇宙船に乗っていたとします。
自由落下状態なのか?
無重力状態なのか?
等速直線運動状態なのか?
実は区別がつきません。
上記の状態では、光もまっすぐに進んでいます。
自由落下状態は、等速直線運動状態と区別がつかないとのいうのがポイントです。
そして、光がまっすぐに進む。
古典物理ですと、等速直線運動と加速している自由落下は別物なのですが、同じものと扱われます。
光を基準ですと、こうなるんですね。
【どんな時に重力あると観測されるのか】
無重力状態では重力は観測できません。
また、自由落下状態でも、重力は観測できません。
そして、光はまっすぐに進むように観測されます。
対して、減速・加速状態では、慣性重力を感じ、光は曲がっているように観測されます。
足を踏ん張って、大地に立っている場合も、重力を感じ、光は曲がっているように観測されます。
光がまっすぐに観測される状態がある意味、何の変化もなく、力がかかっていない状態。
まっすぐな正しい道でしょうか?
そして、光が曲がって感じる状況は、また別の状況なわけです。
重力を感じるのは、重力があるためではく、観測者に力が加わるなど変化があるためです。
我々はその力を重力と解釈しているだけみたいですね。
なんか、重力は錯覚みたいなものなのでしょうか?
【じゃあ、重力はないのか?】
これ以上は私には判らない。重力子、重力波というのがあるのですが、これは私たちが一般的に考える重力とは少し違うみたいですね。
素粒子論は判らないのでお手上げ。
【神の粒子との関係は】
ヒッグス粒子は質量を与えるそうですが・・・
ヒッグス粒子が与えるのは、慣性質量と呼ばれるものだけらしいです。
時空をゆがめる質量とは別問題らしい。
PS
アインシュタインが一般相対性理論を提唱したのは、約100年前。
かなり昔の理論ですが、私の頭ではなかなか理解できない。
もう、最新の素粒子学などサッパリの世界。