元巨人・桑田さんの体罰否定論が的確すぎる 〜単純な体罰否定ではなく、体罰不要の教育論

 桑田さんは早稲田大学院に入り、論文を書いています。
 要旨だけで論文の全文しか読めませんでしたが、非常に知的で独自の野球道を探求する桑田選手にとって、既存の指導方法に大きな疑問があったのでしょう。


 論文の主旨は新しい野球道の探求であり、体罰否定は、その一面ですが、長い期間考えていたのでしょう。
 そのため、単純な場当たり的ではない、統合的な体罰否定論が展開されています。


論文は『「野球道」の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究』だと思います。
要旨はネットで見れますが、本文は不明です。
http://www.waseda.jp/sem-hirata/5009A307_abs.pdf


 そんな桑田さんですが、NHK朝日新聞などのインタビューで語った「体罰否定論」に多くの共感が寄せられているようです。


出典:http://news.livedoor.com/article/detail/7309896/
http://www.j-cast.com/2013/01/12161126.html

大阪市立桜宮高2年のバスケットボール部主将の男子生徒が顧問教諭(47)から体罰を受けて自殺した問題で、元プロ野球選手の桑田真澄さん(44)がNHK朝日新聞などのインタビューで語った「体罰否定論」に多くの共感が寄せられている。

「小中学校時代は練習で毎日殴られていた」と話す桑田さんは、その経験を踏まえて「体罰に愛情を感じたことはない」「体罰は安易な指導方法」と訴える。ネットには「非常に論理的な体罰批判」「一流選手の言葉は重みがある」などのコメントが相次いでいる。

 桑田選手は、PL学園出身ですが。野球の強豪校なので、体罰炸裂だと思っていたのですが意外です。
 これは、PL学園が宗教系だからなのか、それとも学校の方針か、先生の方針か、桑田さんが優秀だから体罰を受けなかっただけなのか。
 どれなんでしょうか。

体罰の背景は指導者の勝利至上主義」

大阪府出身の桑田さんはPL学園時代に甲子園大会で2度優勝し、巨人入団後は通算173勝を挙げた。2008年の現役引退後は大学院でスポーツ科学を学び、2013年1月からは東京大学野球部の特別コーチに就任。精神論によるスポーツ指導の問題点などに関する講演活動も行っている。

体罰が引き金となった今回の自殺問題に関し、桑田さんは2013年1月11日のNHKインタビューでまず「よく体罰は愛情だと言いますが僕は愛情だと感じることはなかった」と強調した。

 体罰をやっている人間が愛情だと言っても、受け手が感じなければ意味がない。
 なかには、体罰を受けていて、愛情を感じる人も居る。
 でも、感じない人も居る。
 受けている人が感じなければ、意味がないのでは。それは愛情を感じない人がおかしいとして処理されるのだろうか。
 ちなみに、DVを受けている子供は、暴力を愛情だと感じる場合があるらしい。
 認知的不協和の解消でしょうか。
 あと体罰を受けている人の多くが肯定するのは、否定した場合自分の人生が悲惨だったと認識してしまうのを恐れる意識がある。
 体罰を否定してしまっては、あの経験はなんだったのだとなるのだ。
 だから悲惨な経験でも、肯定して、それを糧にして前に進む。それ自身は立派だけど、他人にやった時点で駄目だろう。

その上で、体罰は手っ取り早い安易な指導法であり、「いろんな角度から説明する指導方法のほうが難しい」「僕は体罰には反対です」と明言した。時代に合わせてビデオを使うなどの指導法に変わっていかなくてはならない、とも主張した。

体罰を生む背景として、「指導者は優勝しないと周りに示しがつかないとか、首になるとか」の理由から「勝利至上主義になっている」と指摘する。「プロはそれでいいが、アマチュアは育成主義でないとダメだと思っています」と語った。

また「往々にして昔ながらの指導をしている人が結果を出しやすいのがスポーツ界」と認めたうえで、体罰をなくすため「勇気を持って今の時代にあった指導法を実践する指導者が1人でも多く出てきてもらいたい」と訴えた。

その上で、体罰は手っ取り早い安易な指導法であり、「いろんな角度から説明する指導方法のほうが難しい」「僕は体罰には反対です」と明言した。時代に合わせてビデオを使うなどの指導法に変わっていかなくてはならない、とも主張した。

 無能から体罰に走る。
 困ったことに、それで結果が出てしまう。

 真面目にこつこと勉強してテストで点数を取る人、カンニングをしてテストで点を取る人。
 点数を取ると言う結果は、両方とも出している。点数という結果だけの評価では手法の正しさは判断できない。

 それと同様に、勝利という単純な尺度による評価では、手法の正しさは判断できないのかもしれない。

また「往々にして昔ながらの指導をしている人が結果を出しやすいのがスポーツ界」と認めたうえで、体罰をなくすため「勇気を持って今の時代にあった指導法を実践する指導者が1人でも多く出てきてもらいたい」と訴えた。

 結果が出てしまうので、正しいのだとなってしまう。
 それを支持する人も大量に出るし、生徒も保護者も結果が出るならと、付いて行ってしまう。
 そして、やっている本人も変更する気になれない。

服従で師弟が結びつく時代は終わった」

朝日新聞が1月12日付朝刊に掲載したインタビュー記事では、「体罰がなぜいけないのか」について説明している。

大学院生時代の2009年、桑田さんがプロ野球選手と東京六大学の野球部員550人を対象に行ったアンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」という回答が83%に達したという。

 という数字の大きさが、この問題の大きさを表しています。
 プロ野球選手、(東大を抜かして)東京六大学となりますと、野球エリートです。
 もはや、これ程の数値になると、この人たちが指導者層になったとき、不安を感じてしまいます。
 なんというか、DVやアダルトチルドレンの悪循環みたいです。

 そもそも、いろんな指導方法に接して、体罰が必要と判断したのでしょうか。
 と言うよりも、他の指導方法知らない、体験したことがないのかもしれません。

こうした実態を踏まえながらも、「指導者や先輩の暴力で選手生命を失うかもしれないのに、それでもいいのか」「殴られるのがいやで野球をやめた仲間を何人も見てきた。スポーツ界にとって大きな損失だ」と反論する。

 殴られるのが嫌で辞めた人を「弱い人間」として批判して、切り捨てているのが今の現状でしょうか。

加えて、「絶対に仕返しされない」という上下関係の中で起きるのが体罰だとし、「監督が采配ミスして選手に殴られますか」「体罰は暴力で子供を脅して思い通りに動かそうとする卑怯な行為」と強調した。

 自分は安全の中に居ての一方的な暴力。
 会社の上下関係も近いけど、会社の上下関係よりもたちが悪いかもしれない。

体罰を受けた子は、どうしたら殴られないで済むのかという思考に陥ります。それでは子供の自立心が育たず、自分でプレーの判断ができません。殴ってうまくなるなら誰もがプロになります。私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました」

 体罰は、耐える根性はつくかもしれないけど、体罰は自立心や判断力を奪う可能性がある。
 体罰を受けると根性がつくという点をメリットとして体罰容認する人が居るけど、
 体罰は自立心や判断力を奪うというデメリットに関して、どう考えているのだろうか?
 まぁ、学校は自立心や判断力を養うところではなく、奪うところだからいいのか。

記事の最後で桑田さんは「アマチュアスポーツにおいて『服従』で師弟が結びつく時代は終わりました」と断言した。

桑田さんは、師弟関係を否定しているわけではありません。『服従』で師弟が結びつくことの終わりを求めています。
「絶対服従」を、「自分と他者の尊重(respect)」と置き換えることを主張されています。