野球に見えるアメリカと日本の考え方の違い

 黒田選手とダルビッシュ選手が投げ合い。
 黒田選手が、七回途中2失点で負け。
 ダルビッシュ選手が、八回途中無失点で勝ちとなった。


 それに対する評論として、ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は黒田選手とダルビッシュ選手を対比し「日本選手の一人は良く、一人は素晴らしかった」とし書いているらしい。


 負けてもレンジャース相手に七回途中2失点なら上出来だとプラスの評価をしているのだ。


 日本はあまりこのような評価はされない(以前よりましになっているようですが)。
 勝ち負けに評価重心が置かれている。
 ダルビッシュが零点なら、黒田も零点に抑えて負けるなの世界だ。


 ものすごく結果重視だ


 アメリカにおいては、勝ち星は対戦相手の投手力や打力、守備力。また味方の打力と守備力にあまりにも左右されすぎるので、投手の評価の指数として問題があるのでは?と考える人が多い。


 マネーボールの人は、非常に簡略化して、被本塁打、三振、四球の指数で投手の評価をしようとした。


 結果で評価するのは簡単だ。
 それに対して、分析して評価するためには、非常に細かいデータ集めをしないといけない。
 大変手間とお金がかかる。


 アメリカは、ちゃんとお金をかけてやり、
 日本は、お金をかけないで結果だけみる。


 日本でも、ファイターズは比較的アメリカに近い評価方法をしているとの噂ですが、選手にとってもフロントとっても、ありがたいのではないだろうか?

 対照的なのが、ベイスターズ。評価基準が判らない。人気と年俸と表面的な結果だけでしょうか?
 その結果、大低迷するのも当たり前です。


 なんというか、日本社会とアメリカ社会の特徴をよく表している。
 アメリカ人は、記録大好き社会だ。
 アメリカ人は大雑把だけど、調査となると非常にコマ目で、膨大な情報や資料を集めて分析する。


 対して、日本は普段は細かいけど、調査となると非常に雑だ。細かい過程等を詳しく調べずに結果論で、あーだかーだの世界だ。
 原発事故などその典型例で、事故調査報告書は、薄く、細かい点にかする記載もない。
 その場において、個人が何を考え、行動し、その結果どうなったかなどの記載はほとんどない。
 そのため、ヒューマンエラー等の失敗の研究にはあまり役に立たない。
 組織文化が腐っているなど正しいけど荒っぽい組織論になり、結局精神論になってしまう。