日本の科学技術の衰退 選択と集中で失敗するのは最初から判っていたこと。

日本の科学技術力が衰退していると噂されています。

その一方で、日本は近年ノーベル賞を数多く受賞しているので、問題ない。中国よりも上との主張もあります。が、この点は特に触らず、衰退していることを前提に話します。

 

昔、遺伝アルゴリズムというのを実験してみて、面白いなと思ったのは、淘汰を厳しくすると、答えがイマイチになるという点です。

早い話が、多様性を失い探索範囲が狭くなってしまうのが原因なんですが。

 

選択と集中って、多様性を失うんですよ。

で、多様性を失った結果、検索範囲が狭くなります。

早い話が、みんな同じ様なことを考え、同じ様なことをやっていたら、同じ様な結果しかでないわけですよね。 

研究は成功率が低いため、

皆、同じ様な失敗をするわけです。

同じような失敗だから、失敗知識の増加も、当然イマイチです。

多様性を持ち、他の人が探してないところを探さないと、新しい発見なんてなかなか見つからない。だから多様性はどうしても必要。

 

研究の場合、これはマズイです。

 

■歪なエリート主義

 昔、選択と集中の話を聞いたときに感じたのが、歪なエリート主義ですね。

 90年代は、バブル崩壊・低成長時代になって、皆で豊かになるのは無理、不景気だしバラマキも無理、効率化のためにエリート様に資源を集中させて、結果を出しましょう、経済成長率を上げましょうみたいな議論が出る時代でした。

 

 東大の人は、頭良いです。オール5の天才・秀才です。

 対して、地方国立の人は何か欠落しているんですよね。

 国語が普通・苦手とか、英語が苦手・普通とか。

 理系の天才であっても、国語や英語が普通・苦手だと東大は無理なんです。

 で、そういう人は、地方の国立行くんですよ。

 

 だから、地方の国立でも、理系の天才がいる可能性はあります。

 

 しかし、選択と集中の結果、東大などの一部エリート大学やプロジェクトにだけ、お金が集中する様になってしまいました。

 地方の天才学生には、お金は行かないんですね。

 天才という非常に貴重な資源を生かせないし、生かす気もない。

 そもそも、地方大学に天才がいるなんて思ってもいない。

 創造的な研究ができるのは偏差値の高いエリート大学だけという思想なんですよ。

 だから、文部科学省のエリート様は、地方の大学に研究費を出しても無駄と考えているんですよ。地方大学への研究予算はバラマキとしか捉えられない。

 だから、いとも簡単に、選択と集中とか言って、カットできる。

 

 歪な優生論の世界ですよ。

 ところが、へんちくりんな淘汰をしたり、過剰な淘汰をすると、多様性を失い袋小路に入り、種が弱体化するという肝心要が欠落している歪な優生論。

 

■評価

 そもそも選択と集中と言いますけど。

 何を基準にして評価しているのか、非常に怪しい。

 判りやすい例で言いますと、AI。お金の金額やアメリカや中国、ヨーロッパと比べても少ない。その一方でスパコンの予算は、それなりにあったりします。

 なんというか、まともな評価ができていないんですよ。

 実績のある人と利権ベースなので、新しい分野・未知の分野には、なかなかお金が落ちない。結果遅れます。

 そもそも、研究なんて、時間がかかるし、失敗も多い。

 3年で100%結果を出せなんてなったら、それは研究じゃなくて開発でしょう。

 

 まともな評価ができないのに、選択と集中なんてやるから、見当違いなところに集中してしまう。肝心なところを切り捨てでしょうか。

 

成果主義と安定した雇用

 短期的なものの場合、成果主義は機能する場合があります。

 短期で成果を評価できるためです。

 しかし、研究など長期的なもの場合、成果主義はマイナスになる可能性が高いです。

 当然ですね。長時間かけないと成果が出ないので成果を評価できないんですから。

 にも関わらず、短期で成果評価しようとすれば、歪みが生じます。

 

 創造的な仕事であっても芸術と研究では時間と確率が違います。

 5年10年かかる芸術作品なんて、非常に稀でしょう。

 安定した雇用環境こそが長期的な創造には必要なんですが、どうにも悪い意味でアメリカの真似をしています。

 ドクターに関しては、明らかにアメリカ以下ですね。

 

文部科学省との合体が失敗

 昔は科学技術庁でしたが、2001年に文部省と合体してしまいました。

 どうにも、これがイマイチだったような気がします。

 人材育成と大学という点では、共通でしたが研究という点では、微妙ですね。

 教育の専門家と科学技術振興の専門家は違いますよね。

 オールマイティのトップというのは存在しないので、複数の性質の組織を集めると、手を抜かれるジャンルがどうして出てしまいます。

 手を抜かれるならまだしも、悪手をされる危険性すらある。

 

■研究をサボっている人間は判る

 結果が出る出ないは別として、 研究をサボっている人間は判るもんですよ。

 情熱のあるなしがありますからね。サボっている人間に情熱なんてありません。

 やる気がない実験をやらされて、情熱が冷めている場合もありますが。

 

 じゃあ情熱をどうやって測るかというのは難しいです。

 それこそ、数値化は難しい。

 人間が観察して評価するしかない。組織の長の腕としか言いようがない。

  アメリカの場合、評価する人を評価する技術が進んでいます。

 人を見る目がない人は、評価能力がないと言って排除されてしまいます。

 日本場合、権力者が評価します。一方、権力者を評価しないですからね。

 人を見る目がない人がトップに立つと組織はいとも簡単に麻痺しますね。