久しぶりに、買ってあったスティール・ボール・ラン最終巻を読んでみました。
そこで、考えてみました。
遺体はどこに行ったのか?
スティール氏は、「DIOは消滅した」と言っている。
DIOの頭は消滅したけど、体は残っていたはずなのだが......
そう考えると、ルーシーが内緒で死体を始末したのだろう。
そして、ルーシーは、スティール氏に、自分がDIOを殺したことは説明していない。
殺人という罪を隠している。
露骨に視線合わしませんし...
DIOの死体の処分場所は多分...シェルターの中。
ここで、疑問が出る。
ルーシーは、聖なる遺体とDIOの遺体をシェルターに入れたのだろうか?
スペース的にも考え辛い。
聖なる遺体を取り出して、DIOの遺体を入れたと考えるのが、無難だろう。
そうなると、ルーシーが遺体を持っていることになる。
引きづり出したとも考え難いので、
ルーシーが、聖なる遺体を得た(一体化している)と考えるのが無難でしょうか。
女神モードではなく、所有者モードとでもいいましょうか?
ルーシーが最後に言った、「遺体は地下深く納骨された」という表現は、聖なる遺体のことではなく、DIOの遺体のことを指しているのでしょう。
手を見るシーンは、最初、施錠した手を見ている(ルーシーが施錠したのことの表現)かと思いましたが...
遺体に手で触れ、そこから一体化していることの表現とも考えられます。
「資格」という言葉に反応している点からもうかがえると思われます。
また、ルーシーは、最初、ある種生贄の女神として、選ばれましたが...
自分とその夫を守り、DIOを倒すため、各種行動をしたことにより、女神から所有者の「資格」ある人間になったのだと思います。
(もっとも、この遺体はジョニィたちよりも、大統領を選んでいたわけで...どうにも、「資格」がどんなものなのか、良く判りません。)
スティール氏は、遺体がジョニィを選ぶか、DIOを選ぶか、「祈るだけ」と言いましたが、
ルーシーは、そう考えませんでした。行動した訳です。
ナプキンを取る側の行動なわけです。
(そもそも、選ばれた大統領は、負けたわけですから、遺体に選ばれること=勝利ではないのですが...)
最後に、ルーシーが1人で階段を上るシーンも意味深い物です。
スティール氏との別れや、ナプキンを最初に持つ者の孤独を暗示させます。
ストーリー的にも、スタンド能力もない遺体を得る争奪戦に直接参加していないルーシーが得るというのも、皮肉?が効いています。
さて、ルーシーからジョニィに遺体が移ったか、どうかですが...判りません。
ジョニィなら、わざわざ遺体を棺の中に入れる必要はありません。
一体化すれば良いはずです(それとも完全体の遺体は無理なのか)。
しかし、その場合、ジョニィの杖は...微妙です。一体化したら、杖は必要ないような気がします。
ジョニィは、途中で「あの遺体は本当に必要なものだったのだろうか?」と言っています。
遺体の存在意義に疑問を持っています。そして、もう遺体に対する所有欲はないわけです。
大統領との戦いが終わった後も、泣くことを優先しています。
ジョニィに取って、友>聖なる遺体のような気がします。
ジョニィが聖人の遺体ではなく、友の遺体を持っているという方がストーリー的にも、何とも皮肉?が効いています。
とは言っても...
上記の考え方にも無理があります。
ジョニィは、大統領との戦いが終わった後、一体化していません。
わざわざ、布にくるんでいます。
この辺が良く判りません。
一体化出来なくなったのか、する気がなくなったのか。
どうにも、判りません。
あと、最後の遺体を降ろそうとしたシーンの解釈も微妙です。
ジョニィのスタンド能力なのでしょうが...他者に自分の主張を強要している点から遺体の力が関係しているようにも見えます。
結局、ぐたぐだ考えて、判らないという結論。
わざと明示的にしていないので...難しいですね。