暴力装置という言葉を使わないで、文民統制の意義が伝わるのか?

 上手く説明すれば、可能でしょう。
 文民統制を説明するうえで、軍隊、警察に対して、暴力装置という言葉を使うのは、その業界では普通のような。専門家じゃないけどね。
 社会や政治を語る・議論する上で、政治学社会学の言葉を使うなと言うほうが、変だ。
 
 自衛隊だけではなく、アメリカ軍だろうと、イギリス軍だろうと、社会学政治学?上、軍は暴力装置。「暴力装置だから、より厳しい管理、文民統制が必要」というのが、肝だったような気がする。
「実力組織だから、より厳しい管理、文民統制が必要」じゃ、意味がさっぱりわからない。
実力組織じゃ、わけわからないよ。暴力装置よりも、マイナーな政治用語ですな。

 警官や自衛隊員だって役人だ。
 財務省も農林の人も、同じ役人。時として、力の使い方を間違える。警察や軍が力の使い方を間違えたとき、そのダメージは、農林の人の比ではない。
 ゆえに厳しい自制と管理が必要。

 自衛隊員の士気が落ちる?
 自衛隊員が、暴力装置という用語に慣れていないとしたら、当然、文民統制の意味・意義も知らない可能性が高い。
 知っていれば、「そうだね」で済む話。
 知らないで、「士気が落ちる」としたら、そっちの方が、恐ろしい。

 言葉を歪めることにより、人々の認識を変え、意味を変え、思考を歪ませることが可能だ。

 近年、自衛隊では、戦車のことを普通に戦車と言えるようになった。
 ようやく、正しい言葉で正しい表現が出来るようになったのだ。
 日本では、「リストラ=首切り」という言葉になってりして、本来の趣旨とは、異なる意味になってしまう場合が多い。
 むしろ、国民や政治家、軍人が、この言葉に、違和感を感じる方が怖い。