注意:かなり極端な議論であり、毒を吐いています。
実際そうなるという予測と言うより、思考実験だと思ってください。
朝日新聞のコラム復興の軸は脱「利己主義」を読んで災害ユートピアという本のが頭に浮かんだ。
災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上るのかという本がある。
朝日新聞は、日本人だから○×という論調ですが、一般的に「大災害が起きた時、被災者は極端なパニックには陥らず、相互扶助、平等分配の理想的なユートピアのような特別な共同体が立ち上る」ものなのだそうだ。
上記のようなことは、どの国でも起きることだ。
特に日本人は、他国より理性的で相互扶助が強いかもしれませんが。
このコラムは、【①妙な民族主義】と【②特別な共同体という意識の欠落】という問題を抱えている。
【ユートピアは続かない】
共栄なら判るのですが、基本的に、災害ユートピアは長続きはしないし、長続きさせるべきではない。
旧共産主義の時、市民は貧しく、市民レベルでは相互扶助が盛んだったらしい。しかし、豊かになると相互扶助しなくても、ある程度の生活水準になるため、衰退したらしい。基本的に、貧民街は相互扶助が盛んだ。
人工的に、災害ユートピアを作るのだけは勘弁してほしい。
【ディストピア】
ウィキペディア「ディストピア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2
ディストピアの特徴
一見すると平等で秩序正しい理想的な社会だが、徹底的な管理・統制により自由が奪われた社会。自らの政治体制をプロパガンダで「理想社会」に見せかけ住民を洗脳し、この体制に反抗する者には治安組織が制裁を加え社会から排除する。
それにしても、脱利己主義とは何ともな話だ。
昔の共産主義者のユートピアは、現代人の目から見ると個性がないディストピアにみえる。
しかし、エゴや個性の多様性や個人の欲望を認めない社会(共同体中心主義)をユートピア状態と認識する人は意外と多い。
まさに、今の被災地こそ、ユートピアに見えることだろう。
日本人の保守系の人の理想郷と、共産主義の理想形態は、宗教面や天皇陛下が居る居ないの違いだけで、実はかなり似ている。
そのため、多くの人たちが、被災地ユートピアに魅了され、被災地ユートピアを理想郷・目指すべき社会にしかねない(朝日のコラムは、めざしちゃってますが)。
一体感、連帯感は、人々に幸福感を与える。このことは、良い方に使えば、素晴らしい力になる一方、歪めば、外との価値観から乖離した集団。最悪他者への暴力になる。
善意で始まった活動が、特定の利害を持った者に運動が乗っ取られ、利用され食い物にされることは良くあることだ。
【躁鬱社会の出現】
脱利己主義が歪んで、自粛・自粛で欝社会になりそうな気もする。また、欝の反動として、躁状態になるかもしれない。
昭和天皇の崩御の後の自粛・自粛。その後のバブルのハイテンションを見ると、社会自身が躁鬱状態になるのではないかと思ってしまう。
いや、もうなっている可能性は高い。
可能性は小さいが、最悪、今後、奇妙な全体主義や今まで以上の異論排除のバッシング社会、社会活動が出現するだろう。
上記のことは、まずあり得なし、杞憂だ。
まぁ、気にし過ぎでしょうけど。
しかし、想定外・誰も考えなかったということを言われないために、極論ですが、一応書きます。