問題の本質をどこに求めるか。
5WHYなどで、問題の本質を発見し解決することが重要ですが、やりすぎると意味がないことになります。
たとえば、フグの毒に当たって死んだ人がいたとします。
①フグを食べたのが悪い
②調理に問題がある。
さて、①と②、どちらが問題の本質でしょうか?
もし、仮に①とした場合、問題解決策としては、フグを食べるの禁止でしょう。
「焼肉酒家えびす」の場合
①生肉・ユッケを食べたのが悪い
②調理に問題がある。
「自動車事故」の場合
①自動車がこの世にあるのが悪い
②運転などに問題がある。
①と②、どっちを本質ととらえるかは、確かに①の方が根に近いような気がしますが。最終的には、好みでしょう。
しかし、①を問題の本質と捉え、問題解決方法として①の消滅を選んだ場合、異常に閉塞感に満ちた・詰まらない世界になってしまうのではないでしょうか。
日本に閉そく感が漂うのは、議論が下手で、直ぐに極論に行ってしまうからだと思います。
極論は結局、実行できないか、するべきではない結論が多いので、そういう議論ばかりしていると、結果として、閉塞感や行き詰まり感だけが増えて行きます。
そして、実行したとしても、結局、閉塞感に満ちた・詰まらない世界になります。
【世の中から事故をなくす根本的な方法】
人間がこの世からいなくなれば良い。
そうすれば、事故はなくなる。
5WHYを5で止めるのは、経験則です。
あんまり、深すぎると上記のように、意味がない答えになったりします。