大阪市立桜宮高2年生でバスケットボール部主将の男子生徒(17)が、顧問から体罰を受け自殺した事件がありました。
いつも、不思議に思うのは、体罰は教育上必要だと言う人たち。
校内暴力をする生徒、他人に暴力を振るう生徒に対して、止めるために暴力を使うのはある程度、判るのですが・・・
悪いことをした生徒が、多少の体罰を受けるのも、ある程度は判る。
でも、努力している人に暴力を振って、何の意味があるのか?
体罰って言っているけど、なぜ、罰なのだろうか? 何が罪なのだろうか?
努力している人が、できないのは、罪なのだろうか?
私から見れば、体罰ですらなく、暴力でしかない。
私は昔、塾でアルバイトしてのですが、その時、生徒に質問されたことがある。
「なぜ、先生は答えを間違えたのに怒らないのですか」と言われたのだ。
最初、意味が分からなかったけど・・・・どうやら、生徒は間違えると怒られる教育環境にあったようだ。
間違えるのを恐れていて、慎重になりすぎ、どうにも解く問題が少ない子供だった。
私は次のように答えた。
「勉強って、できないものをできるようにするものだから・・・・できなくてもしょうがない。努力しないのは問題だけどね。それに、できないのをできるようにアシストするのが、僕の仕事だから。バンバン挑戦して、バンバン間違えていいから。挑戦しないのが一番の問題」
確かこんなことを言った。
後から考えると、結構、真理に近かったと思っている。
生徒ができないのであれば、教え方やトレーニング方法などを変えることを考えるべきだろう。
主人公は生徒なわけで学習には時間がかかる。
見守るということが重要だと思う。
それをしないで、暴力で対処するのは、教育としてどうなの?
PS
私から見れば、この生徒は弱い人間ではないでしょう。
バスケットは、キツイスポーツだし、強豪校で主将として、努力しているのだから。
少なくとも、私よりもよっぽど根性があったはずだ。
悪くないのに、罰を受ける。
これは、精神上良いはずがない。
社会には理不尽が多く、こんなので自殺してどうするという人が居るけど。
人生はただでさえ、理不尽が多いのだから、減らせる理不尽は減らした方が良い。
わざわざ増やす必要はない。