共感と理解には、密接な関係があります。
話していて、話に対して相手が共感した場合、
その話は、腑に落ちた話になり易いが、
共感がない場合、腑に落ちない話となってしまう。
結局、人間は、自分の価値観や経験でしか物事を見れない。
そのため、相手の経験や価値観に合わせて、物を見せることが重要です。相手が見えるもので出さないと相手には見えない。
価値であれば、その価値は認識されない。
【気づき】
気づきは、認識されない状態から、認識された状態になるわけですが、
取っ掛かりがないと、気づきを生み出すことは容易ではない。
その取っ掛かりになるが、共感だったりします。
【人間は関連付けと経験で、認識し覚える】
脳自体が、神経ネットワークですが、神経そのものを見ても、それがどんな働きをするのか、良く判りません。
ネットワークという関連を見ないと働きは判りません。
人間の知識表現・認識自身が、関連の集まりであり、実態は良く判らない物だったりします。
例えば、辞書の単語。
単語自信が、単語で説明されていて、
その単語を理解するためには、他の単語を理解していないといけない。
単語だけでは、結局どうどうめぐりになる。
辞書は、ある種関連ネットワークの集合ですが...それだけでは、物を理解できない。
どこかで、経験があり、それと結び付いてないと判らない。
結局、自身の経験とそれらの関連付けで、知識が構成されています。
そのため、自身の経験とそれらの関連付けに、結びつきにくい知識は、その人の知識体系の中に、
入りにくい。
逆に、共感を得るようなものは、経験とそれらの関連付けに、結びつきやすいことを意味するので、
その人の知識体系の中に、入り易いし、理解され易いし、覚えやすい。