閾値を越えた東京

 本日、こちらの記事を読みました。
 ニューヨークに本社を置く大企業はフォーチュン500社の内、20%以下だったような。
 さらに、ニューヨークに集中傾向というわけではなく、NYから地方へ、地方からNYへ移転もある。
 それに対して、東京に本社を置く大企業は70%を超えているではないだろうか?
 アメリカの場合は、80%以上の企業がNY以外にあるので、特定業種を除き、NYにあることにより他の大企業との情報のやり取りが便利になるということはない。
 逆に日本では、70%以上の企業が東京にあるため、他の大企業との情報のやり取りや人的交流が、東京以外だと極端に不利になる。
 このことが、さらに東京への本社集中を加速させる(アメリカの金融会社の人間は、大手町は世界で一番便利だといっていた。なぜなら、日本企業の動きがだいたい判り、便利だからだと。アメリカではNYを観ただけではアメリカ企業の動きは判らない)。
 やはり、90年代以降の大阪、関西からの東京への本社移転が痛かった。
 また、本社も集中していますが、大学、マスコミも東京集中が凄い。
 特にマスコミと本社、大学が東京集中であるため、2000年代に伸びたITなど情報産業、知的産業が完全に東京集中になってしまった(CM、広報は本社なのでそれに関連した、ITコンテンツ産業、データセンター、ネット技術者は東京中心)
 アメリカ・ヨーロッパにおいて、IT,ハイテク産業が地方都市で発展したのとは対照的だ。
 アメリカの先行事例から、私自身、場所を選ばず仕事できる、これで地方も発展するという期待は、明確に幻想でした。
 もはや、地方の起業力、産業育成能力は、相当低下している。そして、地方国立の統廃合は、問題を悪化させるだろう。
 例えば、吉祥寺の魅力は何でしょうか?
 大型チェーン店でしょうか。
 はっきり言って店舗面積でしたら、東京よりも地方のSC、モールの方が全然大きいです。でも、多くの人が吉祥寺に魅力を感じてきます。何が魅力を発しているのか。
 やはり、個人営業の店です。特に若い人が創業した店。それが昔ながらの店と共存している。新旧楽しめる。地方なんて、チェーン店に押されて若い人の個人なんて全滅寸前じゃないでしょうか(偏見あり)?やっぱり、地方はイオンに、ジャスコです。SCやモールに昔ながらの店が入るでしょうか?まず、バラバラでしょう。
 文化も含めた創造力そのものが低下しているのではないだろうか。地方にも文化はある。しかし、それは近年創造された文化ではない。先祖からの伝統文化であり今の自分たちが作った文化ではない。地方の人間は、時間的にも空間的にも、受信者でしかない。
 今の時代、受信でだけで発信しない(出来るネタがない?)のは、何ともに感じるのではないだろうか?