なぜ、日本では返品制度がない場合が多いのでしょうか?
この辺は、日本人の気質に関係があるようです。
学校などで、少数のモラルが低い人を理由にして、行動を制限された記憶はないでしょうか?
変な拘束・ルールを作成された記憶はないでしょうか?
学校の先生が責任を取りなくなくて、ルールを設ける発想もあるのですが。
日本人の特性により強化されている面もあります。
全体が得をすると言う点ではなく、一部のズル人・得する人に視点が行ってしまうんです。
返品制度を導入するか、しないか議論した場合。
①モラルの低い人への対応で諦めてしまう可能性が高い。
②実際問題として、モラルハザード者が出てしまう可能性が高い。
モラルの低い人が出たとしても、少数であり、多数派には返品制度があったほうが便利などという発想が、そもそも出ないのだ。
少数のモラルの低い人たちに、視点が行って、全体が見れなくなる。
もちろん、常に②のような状態になるわけではありません。
ロッテの匠バーガー?では、返金要請は少なかったようです。
【変な公平性】
学校の場合、モラルが高い人と低い人に同じに扱おうとするから変なことになるのだ。
ところが、公平性を盾にして、分けたりしない。
例えば、海外にあって、日本にないのが、少量の買い物者専用のレジ。
はっきり言って、少量の買い物でレジに長時間並ぶのは面倒です。
そのため、海外では、少量の買い物専用レジがあって、少量の買い物は待たずに帰る場合があります。
非常に便利なのですが…日本にはない。
公平性の観点から問題があるらしい。
自分は待っているのに、相手の方が先に終わるのが、ズルいと感じるのだ。
そのため、なかなか導入できない。
導入するとクレームが出る。
例えば、テーマパークのお金を払えば行列に並ばないで済むシステム。
これに対して、公平性に反すると不満を持つ人も多い。
海外なら、お金を払っているから良いじゃないとなるのでしょうが。
アメリカ人なら、その分、自分たちのチケットが安くなるなら良いじゃないかとなる。
(アメリカには金持ちを優先する代わりに、金持ちからお金をたくさん取るサービスが沢山ある)
日本ならば、金の力で公平性を捻じ曲げて汚いと考える。
【リスク・損失に関して非常に過敏である】
例えば、SARSや鳥インフルエンザ。
日本国内の海外への渡航は、これらの病気を恐れて、激減しました。
しかし、外国を見ますと、それ程減少していません。
基本的に、リスク・損失に関して非常に過敏なんですね。
その結果、得があったとしても、リスク・損失に目を奪われて、本末転倒の行動をすることになってしまうことが多い。
【日本人の気質】
ロシア人にも変な気質があるらしい。
隣の人が豊かになるくらいなら、皆が貧しい方が良いと考えるのだ。
なんというか、悪平等的世界だけど。
日本人にも、それに近い変な気質がある。
ズルをする人・ただ乗りする人に対して非常に厳しいのだ。
それのどこが悪いのだろうか。
当然じゃないか。
と思うでしょう。
ある意味、当然なんですが・・・
ズルをする人を許すくらいなら、皆が不便・損した方が良いと考えるのだ。
表立っては、そう意識していなくても、結果として、そういう選択をする傾向になる。
ズルをする人・ただ乗りする人をチェックするためのコストや手間がバカにならない場合があるのだ。
多少のズルを黙認してしまうことにより、チェックコストが下がり、結果として安くなる場合でも、
結果として、良いサービスが得られる可能性があっても、公平性を盾にして意外と認めたがらない。
他者の多少のズルを黙認することにより、自分たちが得する制度によりも、
ズルがない代わりに、自分たちが損する制度を選ぶのだ。
損得じゃない、心情的に許せないのでしょうか?
自分たちが、得をすると言う点ではなく、ズルした人が得をすると言う点に視点が行ってしまうんですね。
そのため、とんでもない主張をする人が出現する。
「あいつのズルが認められるなら、オレもズルする」になってしまうのだ。
「あいつのズルしても、オレは生き方としてズルしない」と主張する人は外国と比べると少ない。
その結果、いとも簡単に集団モラルハザード。
意外と日本は、「赤信号、皆で渡れば怖くない」の社会なのだ。
う〜ん、まとまってないな。