YES・NOをハッキリすると言うのは重要かもしれない。
しかし、創造性が必要な制作の過程において、NO・NO・NOだけだと非常に疲れる。
お客様は自分たちにない創造性を求めているので、お客に代替案を求めるのはナンセンスだ。
(もっとも、着地点を全く考えていない客も困りますが...)
厄介なのが、会議の場に置いて、内部の人間が、NO・NO・NOだけになるのは、非常に疲れる。
論理的に破たんしている点を指摘するならありがたいのですが...
単純に好き嫌いのレベルで、NOを連発されると困る。
論理を元にしたNOでないので、そもそも論理的に対抗できない。非常に厄介だ。
内部の人間なら、単純な評論家にならずに、代替のアイデアを出すのが、創造的な職場ではないだろうか?
それに、会議の場で書類のミスを延々と言われても困る。 確かにミスするのは悪いけど...
それを愚痴愚痴言って、何かなるのだろうか?
まぁ、外向けでミスしないようになら判るけど...明らかに、発表者の好き嫌いで、態度が違う。
重要なのは、内容上のミスのチェックだろ。
なぜか、そういうレベルでは沈黙。
俺には考えつかないけど、NOじゃ、やる気がうせる。
組織に負のエネルギーをばら蒔く人と言うべきだろうか?
他の人が創造的でも、その人が居るだけで、やる気が失われ、創造性が失われて行く。
会議の場では、真っ先に排除しなくてはならいのですが...立場上排除されない。
年齢が原因ではない。キャラクタというべきだろうか?
この手の人は、自分の仕事に関しては、創造的なのだろうか?
当然、違う。
差し障りのない、誰でもできることをしっかりやる。当然、失敗はしない。
ある意味重要な才能だろう。
そのため、管理職としては、確り生き残っていたりする。みんなやっていて疲れるけどね。