なぜ勉強しろと言えば言うほど成績は下がるのか。モチベーションの話。

 今日はこちらこちらこちらを読んで。
 これには、いろいろとあると思いますが...やっぱり「モチベーション・コントロール」の問題。
 勉強をするのは、親ではなく、子供の脳みそ。人間の脳みその学習能力を上げるためには、数や量・時間重要性・刺激などが重要になります。
 脳みそは目に入る情報を何でも学ぶわけではなりません。取捨選択します。無意味なことは学びたくないんです。
 取捨選択の際に重要なのが、数や量・時間重要性・刺激などです。目的意識がなく、重要だと思わないことを、外の人間がやれやれと言われても、当然学習効果などはありません。
 勉強は、「判らないものが判るようになり」、「出来ないものが、出来るようになる」ので、脳の中では達成感・成長感という報酬が出るはずです。勉強が出来る人の多くは、達成感や成長感に喜びを感じます。また、優越感もありますが。他人との比較による劣等感で、帳消しになっている気がします(常に半分の人の学習意欲を悪化させる競争原理の難点です)。
 そもそも、「勉強しろ」と言う家庭は、どんな家庭でしょうか?
 親が子供の勉強を見る家庭でしょうか?居間や台所で勉強をする家庭でしょうか?
 たぶん、どちらにも当てはまらないでしょう。塾や家庭教師をつけているかもしれませんが。
 東大生の一番多い勉強場所が、居間だというのとは対照的です。居間で勉強しているということは、親の目があるわけですし、判らないところは親に聞けば良いわけです。
 話は飛びますが、人間は模倣する生き物です。親の勉強に対するスタンスが子供に移ります。
 親に子供の勉強を見るようにといっても、大抵の親は時間がない判らないなどと言います。子供に、そのような態度は伝わるのです。特に判らないはまずいです。親は、子供レベルの出来なくても良いとのに、子供には出来るようになれは、いろいろとマズイでしょう。判らないのであれば、少なくとも一緒に頑張ろうと言うべきです。
 職場でもそうです。上司が滅茶苦茶やっていうのに、部下にはしっかりしろといっても、説得力がありません。

PS
 よく「試験勉強以外に使いようがない知識」と言われる事が多いが、小学校や中学校では、そういう知識は少ない(古典は常々微妙ですが、教養でしょう)。特に国語と数学は重要だし。理科・社会は、知らないと次に進めない場合が多い。
 実は、「試験勉強以外に使いようがない」のではなく、たんに「試験勉強以外に使い方をしらない知識」という方が正確だろう。また、知らないから、使わなくても良い生き方をしてきたともいえる。
 学校の先生の多くは、文系で大学を出て、直ぐに教職になっている人が多いから、世間知らずで、社会で知識がどう使われているかを知らないし、数学嫌い・科学嫌い・論理嫌いで叙情的な人が多いのが痛い。