常識を疑う?捨てる?:創造力(想像力)

 よく常識を疑いましょう、捨てましょうと言われるが、なかなか難しい。また、現実的ではない。
 全部疑うと進まないし、捨てちゃうと、思考のスタートラインにすら立てない。
 第一、可能性を全部考えよう何てことになったら、とってもじゃないですが、脳じゃ処理しきれない。
 そもそも脳は、どのように可能性を探索しているのだろうか?
 将棋などでしたら、その可能性は、ルールにより初めから限定されている。
 おそらく、人間は本能と経験・知識を元に、可能性を探索している。
 小学校などでは、創造力・想像力が失われるといって、知識を教えない。
 しかし、それは胡散臭い。山を描けと言われたとき、知識なくして、山がかけるだろうか?結局、その人の過去の経験・知識が捜索の源になっているのだ(小説も同じ)。まぁ、山とは異なる何かを強引に描くかもしれない。想像力は発揮したが、しかし、その意義は?
 芸術は、自己満足な精神世界で何でもOKなので、それでも良いかも知れないけど、実社会は違う(学校の先生は、実社会を経験しない人が多いからその点は判らない)。
 実社会は、物理、時間、お金、人材の制約が多くて、数多くの潜在的な可能性の中から当てはまるものを最終的には創造しないといけない。作ればいいの世界ではない。

 しかし、常識を疑う、捨てるポイントというは明確に存在する。
パラドックス、矛盾が起きる。既存の前提・ルールでは説明できない
ボトルネックになっている。
③他者に説明できない

①これは既存の前提・ルールに問題があることを示しています。
ボトルネックになっていると、それを解消するために、既存の前提・ルールを疑うことは重要です。
③新人さんとか、門外漢に、なぜですか聞かれて、上手に説明できない場合などです。少し系統が違いますが、重要です。本人が理解していない、形式主義に陥っている可能性があります。また、理由を知らないので、改善はムリですし、下手に改善すると大きなトラブルが起きます。