原発事故への免責事項が対策を妨げる。
理由は簡単。
対策費を払う理由がなくなるのだ。
【免責事項により、対策費を使う理由が消滅する】
1000年に一度の大地震。
1年間で考えると、0.1%ですが、50年稼働させると、遭遇する確率は5%
1000年に一度の大地震とそれにより起こる原発事故の損害賠償金額が20兆円とする。
対処しなかった場合、
損害賠償金額は、95%の確率で、0兆円。5%の確率で20兆円。
平均損害賠償金額は、50年で1兆円。
この場合、対策費として、20兆円の5%=1兆円>5000億円くらい投入することにより、
損害賠償の確率を1%に出来るとする。つまり、平均損場良賠償金額は、2000億円。
5000億円投入することにより、1兆円から2000億円に減らせるので、
浮いたお金ー経費=増加した利益=(1兆円-2000億円)-5000億円 = 3000億円
50年間で、平均利益を3000億円増加させる事が出来る。
もし仮に、免責事項により、20兆円の支払いを免れるとしたら、どうなるのだろうか?
平均損害賠償金額は、50年で0円。
となってしまう。
この場合、対策費を払うと、単純にコスト増加になってしまう。
私企業として、原発事故を防ぐための対策費を使う経済的な合理性はない。
そんなに、安全対策にお金をかけていたら、発電コストが増加してしまう。
産業として、なり立たないという意見がある。
対策費により、そこでまで、高騰するのであれば...原子力発電をやってはいけないのだ。
対策費を出さずに、原子力発電を行い、低コストで発電できたとしても、それは負担を本当の意味で軽減したのではなく、単に誰かに押し付けているにすぎない。
今回の場合、東電がどこまで負担するかは不明ですが...東電が対策費を減らして安くした分のコストは、国民が税金、被災者の泣き寝入りという形で、付け変えているにすぎない。
本当の意味で安くなってはいないのだ。
【損害賠償なのか、品質保証の一環なのか 医療で考えてみる】
損害賠償なのか、お客様への品質保証の一環なのかによっても、行動は異なる。
たとえば、医療を考えてみる。
・A 品質保証的な考え方
想定と異なる結果になった場合、金銭的に多少支払う。
・B 損害賠償的な考え方
想定と異なる結果になった場合、大きな過失がない限り支払わない。
現状の場合は、Bでしょうか。
医療行為は、ベストを尽くしても、結果が出るとは限りません。
大きな過失がある場合、損害賠償という形で支払われます。
しかし、医療の場合、損害賠償が支払われることが稀です。
Aの場合、医療費は保証金分増大しますが、お客様が受けるサービスの価値は保証金分増大します。
また、保証金減らす分ことが出来れば、その分、対策費に回すことが出来ます。
Bの場合、対策費を出す、経営的・経済的根拠が希薄になります。
医療機関の倫理任せになってしまいます。
【欠陥住宅対策で考えてみる。】
住宅を建てる場合、欠陥住宅保険への加入を義務化します。
この場合何が起きるでしょうか。
欠陥住宅かどうかは、よっぽどがない限り、住宅価格の0.5%〜1%の10数万円のチェックにより、ほぼ見つけることが出来ます。
では、チェックすれば良いのでしょうか。
駄目です。
チェック機関の手抜きがあるためです。
耐震強度偽装問題は、チェック機関の手抜きでした。
損害賠償義務がない、あったとしても、倒産により逃げることのできるチェック機関は、手抜きにより利益の増加を望めてしまいます。
この手抜きは、保険とセットにすることにより、防ぐことが出来ます。
大手の保険会社が、ちゃんとチェックする(費用をかける)すれば、保険金の支払い(費用)を削減できます。
そのため、ちゃんとチェックする動機が働きます。
賠償金というリスク費用を、明確にすることにより、対策費がねん出できるわけです。
【対策費をねん出するのは大変】
品質を向上させるための対策費を得ることは大変です。
特にリスクは、お金など見える形になっていません。
そのため、いとも簡単に認識から外されます。
起きると大量のお金が流失するのですが...
見える化する方法としては、保険やリスク積立など各種経費として、お金にすることです。