人をどこまで信用するかで、システムは変わる

 まぁ、当たり前のことです。しかし、意外と忘れてしまう。
 こちらの方は、会社のことを言っていますが、会社以外の会社間取引や社会システムにおいても、信頼は重要です。
 ヨーロッパの鉄道などは、ただ乗りされることをある程度覚悟で、信用乗車制度というのを導入しています。
 日本では導入がほとんどされていないのですが、
日本人よりもヨーロッパ人がモラルが高いという訳ではなく..実際はズルできる人間を容認できるかどうかの、問題だったりします。
【例外】
 硬直した組織は、個別対応も、例外に対する取り扱いがあまり得意ではありません(例外に関しては、こちらでも書きましたので、できればお読みください)
 こちらのブログでも書かれていますが、コストを無視して、一律に処理を行おうとします。
 まぁ、この一律処理自体、従業員とその知性を信頼していないために起きるのですが....
【日本人】
 民族性を原因にしたくないのですが..日本人は欧米人よりも、他人のズルに寛大ではないそうです。そして、そのズルに影響され易い。もし、他人のズルが容認された場合、自分もズルする傾向にあるそうです。欧米人は、良くも悪くも自己中心的です。ズルする奴は気に入らないが、自分も得して全体も得するシステムなら、それで良いじゃんとなるみたいです。
 日本人は、そんなズルが許されるシステムは駄目。公平じゃありません。教育上良くありません。皆がズルするなら俺もズルしちゃうよの世間です。
 日本人は、世間や恥が規範ですから、世間が緩むと個人の規範意識が一気に低下する危険性があるのかもしれません。
 日本人は、ビートたけし氏の名言、「赤信号皆で渡れば怖くない」ですので、何とも。
【派遣】
 信頼で見た場合、派遣というのは、何ともなシステムです。
 派遣側の企業も、受け入れ側の企業も、派遣社員のことを良く知らない・信頼度が低いので、低信頼でも良い仕事しかさせれませんし、管理コストが意外とかかります。
 さらに、信頼が低く、能力が未知数になるため、給与も低くなります。
 挙句の果てに、仕事に詳しくなり、信頼を高めても、3年で交代ですから、何ともなシステムです。
 ソフトウェアの開発やイベントなど、労働需要の変動が大きい仕事にしか、派遣は向いていないのに、首切りが容易だからという理由で、何でもかんでも派遣とは困ったものです。
【未来工業】
 未来工業さんは、工場に訪問して、社長さんのお話を聞く機会がありました。正直言いまして、本に書いてない部分なども、良く考えて行われている会社です。逆に、本を鵜呑みにして表面上だけ真似ても、巧く行かないような気がします。

力と体罰の甘い罠

 こちらこちらのHPを読みました。
 強い権限を上司・管理者に与えれば、部下との関係が巧く行くか?
 とは限らない。むしろ悪くなる可能性もあります。
 なぜなら、コミュニケーション・人間関係の構築をサボるためです。
 人の話を細かく聞くのは、手間もかかるし心身ともに疲れます。コミュニケーション・人間関係の構築も手間がかかります。
 権限かざして、やらせた方が一見楽なんです。
 そのため、下手に強い権限を与えますと、権限に依存して、コミュニケーション・人間関係の構築をサボります。
 そして、最終的には、コミュニケーション・人間関係の構築がないため、権限を振りかざすしか、選択肢が無くなります。
 教育も近いのではないでしょうか。
 体罰容認の教育が、体罰依存の教育になる危険性が常にあることを忘れていないでしょうか?
【力を振るうのは快楽である】
 権力も暴力も、力を振るうのは快楽を伴います。優越感も得ることが出来ます。
 そして、無意識のうちに、力の快楽の虜になります。
 そうなると、力を振るうことが目的化します。周りに居ませんか?そういう人。
 少なくとも、力を持つ人間は、それを自覚すべきです。自分(たち)は大丈夫などという自惚れは持たずに。もっとも、体罰を行う人は、その魅力の危険性と暴力の怖さを意識せず、自分は大丈夫と自分を特別視し、力に溺れますけどね。そして、溺れていることも認識しないし認めない。
【例外】
 生徒には、話して判る生徒もいます。話しても判らない生徒もいます。
(例外に関しては、こちらでも書きましたので、できればお読みください)
 どっちが多いかというと、大抵は話して判る生徒です。
 話しても判らない生徒は、少数です。
 しかし、体罰を容認しますと、話して判る生徒までに体罰を使い始めます。
 こうなるとメリットよりもデメリットのほうが大きくなります。
 第一、体罰は、自分よりも体力のある(本当に体罰が必要な)乱暴な不良やいじめっ子ではなく、比較的、順応な子供に対して行われているように見えます(例外もあるでしょうが)。
【そもそも問題が解決するのか】
 たとえば、学級崩壊
・先生の人格、技能に問題がある場合
 そんな先生に体罰許可していいの?体罰禁止でも解決しませんが..
・生徒、その親に問題がある場合。
 その場では静かになるので、効果はありか。しかし、露骨に生徒に問題がある場合、クラスに入れることに問題あり。先生単位での対処ではなく、学校単位で、個別対応しないと駄目。
 しかし、親が問題の場合、未解決。どの道学校ではムリ。
体罰から何を学ぶか】
 一部の生徒は、殴ることにより改心しますが、殴られたことにより、暴力で頭がいっぱいになる生徒もいます。
 殴ることにより改心する生徒もいるように、「力のある人間は自分の意見を通すために暴力を振るっても良い」「権力の強い人間は弱い人間に暴力を振るっても良い」と解釈する生徒もいます。
 人間は【模倣する生き物】ですから、どこで何を学ぶかは、教える人の意図ではなく、学ぶ人しだいです。
 人の話をじっくり聞いて解決するのか、そうじゃないのか、人は観察し学んでいきます。
 力一辺倒の解決ですと、子供は力による解決しか学べません。困難な問題をコミュニケーションで解決できることを知れば、良い手本になるのですが...
【喧嘩・暴力の美学?】
 私は殴られれば人を殴ります。逆に殴らない以上、相手を殴りません(第三者への正当防衛は別)。
 まして、相手が殴ってこないことが判っていて殴るなんてことはしません。それを行えば、「喧嘩・暴力の美学」に反します。しかし、体罰は「喧嘩・暴力の美学」に全然合っていないんですよね。だから、嫌いです。
【まとめ】
 慈愛や情けがない正義は、非常に残酷なものになります。
 暴力の魅力に取り付かれないこと祈りましょう。